戦前の大都市圏でそれなりに普及した火葬は、戦時中〜戦後に一度衰退した

民俗学者堀一郎が1950年11月に行った、(北海道や奄美・沖縄を除く)日本列島で当時どれほど死者の遺体を火葬することが一般的かという調査の中に、不思議な点がある。それは、この時点では首都圏や滋賀県の一部を除く京阪神圏、名古屋圏など大都市部は火葬が盛んな「火葬地帯」ではなかったということである。

無論、1950年当時は現代とは異なりそもそも日本全体で(浄土真宗が盛んな地域を除いては)火葬が非一般的であったから、という理由は無視できない。

しかしながら、浄土真宗が必ずしも一般的でない地域のいわゆる農山漁村部や小規模都市部では、基本的に1950年以前は(少なくともいわゆる一般庶民の間には)火葬が普及していなかった(そしてそれ以降も例えば火葬に抵抗感・忌避感を持つ住民が大多数であったなどの理由もあり、筆者の出身地も含めて火葬が普及するまでには時間がかかった地域も少なくない)のでこの時点で火葬が非一般的とされたのとは異なり、先述したような大規模な都市部では戦前に一度火葬がある程度普及していたこともわかっている。

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つまり、大都市部では一度それなりに普及していた(1905年時点での東京での火葬率は58%、大阪では何と90%であったことがわかっている)火葬が、大平洋戦争を挟んで一度廃れているわけである。

これはなぜだろうか。結局現時点ではより正確な答えはわからなかったが、筆者が一度考えたのは、戦争末期の大都市圏への空襲により火葬施設が破壊(焼失)され(そのため、その空襲による大量の死者はいわゆる前近代式の野焼き火葬法により葬られた)、戦後はまず生き残った住民の生活を立て直すことでいっぱいいっぱいであったため、火葬施設の再建が進まなかったからではないか、ということである。

あるいは、近現代型火葬施設で人間の遺体を火葬するには燃料が多く必要であるため、様々な物資を軍需物資とすることが最優先とされたことにより、空襲が本格化する前の時点で既に火葬施設は営業を停止していた可能性もある。

実際、例えば東京大空襲による莫大な数の死者の遺体は野焼き火葬が追いつかず、一度仮埋葬地に埋葬され、戦後の1948〜50年頃に改葬されている(この時の火葬はどこでどのように行われたかは筆者はまだ知らないが、堀による調査には、この東京大空襲での死者の遺体の改葬は反映されていないようである)。

ただ、広島市及び長崎市への原子爆弾投下では、被爆死した死者の遺体は非常に多かったにも関わらず、基本的に仮埋葬を経ずに野焼き火葬されている。これについては、最近長崎市出身の方にお聞きする機会に恵まれたが、その方(昭和も後期になって誕生されている)が被爆体験者の方に聞いたことによると、火葬することで謎の毒(放射能のこと)を消せると信じられたからだそうである。更に補足すると広島の場合は、遅くとも近世以降には浄土真宗が盛んであったことも無関係でないだろう。

竹内正浩『写真と地図でめぐる軍都・東京』NHK出版新書、2015
堀一郎『民間信仰』岩波全書セレクション、2005
異なるハンドルネームで執筆した拙記事「火葬が普及し始めた明治時代の大阪と東京の火葬率を調べてみた

(寄稿)せっぱつまりこ