江戸時代の諏訪湖で水死者が積極的に回収された背景

江戸時代の江戸市内では、水上、特に淡水と海水の境目に浮かぶ遺体が発見された場合、基本的に「沖へ突き流してしまうこと」と決められていた。
これは一見残酷な印象を受けるが、当時の法律上・衛生上・宗教上の複合的理由による決まりであった。
一方、地方によっては、そうした水上の遺体が江戸よりも熱心に回収される地域もあった。

例えば、現在の長野県にある諏訪湖のほとりなどは、その傾向が強かったようである。
諏訪湖での水難死が疑われる行方不明者の捜索が、熱心に行われたことを伝える記録もある。
その記録によれば、当時の俗信に基づくものではあるが、独自の捜索法も伝わっていたという。

ところで、なぜ諏訪湖畔では、諏訪湖での遭難死を遂げた(あるいはその可能性の高い)遺体の捜索・回収が、江戸以上に熱心に行われたのだろうか。
その理由は様々あるが、一つには、諏訪湖が一種の「異界」と考えられていた可能性があることが挙げられる。
古くから世界各地では、神や死者などが暮らすとされる、いわゆる「この世(人の世)」とは異なる世界が、「この世」とはいわば並行的に存在するという信仰があった。
その「神や死者などが暮らす世界」としての「異界」は、日本も含めた東アジア諸地域では、必ずしも一つではないとされてきた。そして多くの地域では、こう信じられた。
人(神や死者なども含む)が、彼や彼女の「本来行くべき場所」ではないはずとされる「異界」に入った時には、例え一時的にそこに滞在しても、最終的には「本来行くべき場所」に到達しなければならない、と。

水難による死を遂げ、遺体が回収されない死者は、その「本来行くべき場所」ではない「異界」にいると考えられた地域もある。
例えば沖永良部島では、海難事故の犠牲者の遺体が発見されない場合、その死者は、彼や彼女が本来行くべき場所ではない異界である「竜宮」にいるとされた。
竜宮は死者の国ではないので、死者が竜宮にいると、その死者は永遠の安らぎを得ることも、先に亡くなった家族に再会することもできないと考えられた。
竜宮の神に供え物を捧げると、死者の遺体が発見・回収されるとされ、それでも発見されない場合、特別な祭祀を行うと、その死者は竜宮を脱して死者の国に入れると信じられた。

これと似たような信仰が、恐らくは諏訪湖畔にもあったのではないだろうか。そういえば、近世以降の諏訪湖には「武田信玄水葬伝説」が伝わる。
これは、戦国時代に今の山梨県〜長野県を統治した武田信玄が、自分の死を隠すために、諏訪湖に水葬することを遺言し、それが実行されたとする伝説である(実際には信玄は火葬され、墓は陸上に建てられた)。
中世末期〜近世には、「死後“神”となる貴人」の範囲が、大規模な、あるいは特に著名な大名にまで拡大された。このことと、「武田信玄水葬伝説」によって、「水葬伝説の中の信玄」は、いわば「異界としての諏訪湖に住む神」としての側面を持つに至ったふしもある。
また、一般庶民の死者が、「死後“神”となる貴人」の一人とされた(水葬伝説の中の)信玄と同じように、諏訪湖に結果として「水葬」されるのは、恐れ多いことだとも考えられていたのではないか。

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(参考)
高橋昌明『酒呑童子の誕生 もうひとつの日本文化』中公新書、1992
酒井正子『奄美・沖縄哭きうたの民族誌』小学館、2005
武田信玄水葬伝説の参考

(寄稿)せっぱつまりこ

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