即身仏信仰と火葬の意外な関係

「即身仏」という言葉を、お聞きになったことはおありだろうか。あるいは、日本にも中世から江戸時代に、仏教の僧侶でミイラになった人物が複数いる、という話をお知りだろうか。

「即身仏」とは、中世に始まり江戸時代に盛んになった、極めて厳しく且つ特殊な修行の末にミイラとなった、仏教(特に真言宗・修験道系統の宗派)の僧侶(あるいはミイラ化し信仰の対象となった彼らの遺体)のことである。
彼らは、悟りを開くことと全ての人々の救済を願い、即身仏となったという。
即身仏になることを決心した僧侶は、穀物や調味料などを断ち、木の根や皮、ドングリのような木の実などのみを食べ、自分の身体から肉や脂肪、水分などの遺体腐敗の原因になるようなものを落としていった(これを木食(もくじき)行といい、徹底的な禁欲の意味もあった)。
そしてそれにより痩せ衰えると、そうしたわずかな食事も取るのをやめる。この頃に、漆を飲み内臓の防腐処理をした僧も少なくなかった。
その後あらかじめ準備しておいた、寺の庭の地下の石室に入り、上から土を掛けて生きているうちに埋葬される(窒息を防ぐため、竹筒の空気穴もある)。石室の中の僧は生命力の続く限り読経をしたり鈴を鳴らす。
そして、外の人々は読経や鈴の音が止むことで、かの僧の死を知る。

こうして僧侶が亡くなったことがわかると、外の人々は念のため石室を開け、彼の死をきちんと確認し、再び石室を閉ざして土を掛け、約3年後に再度石室を開ける。
すると、よほどのことがない限り、僧の遺体はミイラ(即身仏)化している、というわけである。
ところで日本では、この即身仏信仰と死者の遺体を焼く火葬の受容が、実は密接に結びついていたということはご存知だろうか。
先述したような、生きながら脂肪などを落とし、内臓の防腐処理もしてミイラとなるタイプの即身仏が登場する前の平安後期〜鎌倉時代には、悟りを開き全ての人々を救うために、有り体にいえば焼身自殺(捨身)するタイプの即身仏がいた。
こうした焼身捨身するタイプの即身仏となった僧侶も、焼身の前には徹底した禁欲修行も兼ねて、脂肪を落とす木食行をした。

なぜ、このような壮絶な死を遂げようとする僧侶が登場したかという理由は複数ある。その一つはこのようなものである。
当時の日本では支配者層の間で火葬が行われていたが、人の遺体を焼く際の煙が空高く立ち上り、また遺体が生前の形を留めない遺骨灰となると、その死者は極楽往生できたとする信仰があった。
その信仰から、特に厳しい修行をした僧侶の場合は、極楽往生した上に悟りも開ける、という発想も生まれた。
そのような信仰から、焼身捨身する即身仏たちが登場したわけであるが、無論一般の(支配者層の人々も含めて)人々にとっては、このような苦行の末の焼身は極端なものであり、実行することはほぼ不可能であった。
そうしたこともあり、成仏したことを示せるよう形式上の焼身を行うという意味も込めて、当時の貴人たちの火葬を望む傾向が、より強まったという側面もある。

なお、後の時代のミイラとなった即身仏たちが真言宗や修験道系統の宗派だったのに対し、焼身による成仏を目指した即身仏たちは浄土信仰系統の宗派であった。
浄土信仰の系譜上にある浄土真宗では、他の宗派に比べ古くから火葬指向が強いが、それもこのような歴史と無縁ではあるまい。

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<参考文献>
林屋辰三郎編集代表『民衆生活の日本史・火』思文閣出版、1996

(寄稿)せっぱつまりこ

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