タブー視された、偶然出土した過去の時代の遺骨

清朝末期の大衆向け絵入り新聞『点石斎画報』の中に、興味深い記事がある。

それは、江蘇省にあった陶磁器の産地「趙家窯」で、古代の貴人のものらしい墓が、偶然3基見つかったという記事である。

趙家窯のとある窯業従事者が、資材である粘土を掘っているうちに、偶然3基のレンガ造りの古代の墓を見つけた。そこからは大量の古銭や刀銭(古代中国のコインの一種。刀の形をしている)、宝石で作られた鏡、銅鏡、宝剣、様々な陶器が発見された。そして骨董鑑定家によって、これらは皆、秦王朝や漢王朝以前のものであるらしいとわかった。

発見者一家は、これらの出土物が価値のあるものであるということを知ったので、簡単には手放さないつもりだ(当時の法律では、こうした出土物は発見者に所有権が認められていた)、というような記事の内容である。

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ところで、気になる点がある。ここで発見されたのは、古代の「墓」であることが明確であった。そして、具体的な出土物も、記事の中できちんと報告されている。しかし、墓というからには、墓の主の遺体(遺骨)があったはずであるが、それについては、一言も言及されていない。様々な贅沢な副葬品が残っていたので、盗掘されたわけでもなさそうである。

なぜ、墓の中の遺骨については、触れられていないのだろうか。その理由はわからない。しかし、一つには東アジア各地域には、土中から偶然出土した人骨、特に過去の時代の人骨を「不吉なもの」とみなし、話題や記録にすることもタブーとする信仰があったからだ、という可能性もあると思う。

例えばこれは江戸後期の日本の例であるが、江戸城の敷地内で土砂崩れがあった時、中世の元号が彫られた板碑が見つかり、これは寺院の跡地である証拠だ、と幕府による記録には書かれている。しかし、このくだりを中世日本史を考古学として研究する専門家から見ると、ここは明らかに墓の跡地であり、従って人骨も出土したはずであるという。

それにもかかわらず、人骨について全く触れられていないことは、そうした人骨が出土した事態を、不吉なものとして「なかったこと」にしてしまおうとしたからだ、という指摘もある。こうした、明らかに人骨が出土したはずであるケースにもかかわらず、人骨には全く言及していない江戸時代の記録は、実は極めて多いという。

これと似たような考えが、当時の清朝にもあった可能性も、ないとはいえない。

だからこそ、この趙家窯の古代墓と貴重な遺物の発見についての記事で、墓の主の遺骨については、一言も触れられていないのではないだろうか。

鈴木理生『江戸の町は骨だらけ』桜桃書房、2002
武田雅哉『叢書メラヴィリア5 清朝絵師呉友如の事件帖』作品社、1998

(寄稿)せっぱつまりこ

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