戦前の日本救世軍のリーダー山室軍平~没後自分の遺体を献体した深いわけ【日本の葬儀歴史】

プロテスタント系キリスト教の宗派の一つ、日本救世軍(以下「救世軍」)の大正〜昭和戦前期のリーダーであった山室軍平(1872-1940)は、青年期には同志社英学校(現・同志社大学)の学生であった。
卒業後救世軍士官(多くのプロテスタント系キリスト教でいう牧師)となってからは、廃娼運動(吉原などの遊郭の女性が、いわゆる年季明けを待たずに自分の意志で遊郭勤めを辞め、「一般人」として手に職を得て生活することを支援する活動)を強力に推進した。
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近世以降の供養碑と女性の関係【日本の葬儀歴史】

中世の日本、特に東日本では、不特定多数の人々の供養のための石碑がよく建てられた。そしてそうした「全ての人に開かれた」供養碑は、戦国時代後期〜江戸時代に庶民層にも個人・夫婦単位の墓を建てる余裕が生まれることにより衰退し、結果として、現代的な意味でいう「無縁仏」の概念が誕生した。
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清朝末期の墓荒らしが日本葬儀文化史にもたらしたもの【日本の葬儀歴史】

日本での葬儀はどのような歴史を辿って来たのであろうか?

清朝末期の中国は動乱の時代であり、葬儀・埋葬文化史的に見れば墓荒らしが多発した時代でもあった。しかも、富裕層の墓を荒らして副葬品の金銀財宝を狙うのとは、異なるタイプの墓荒らしが目立った。
具体的には、墓を暴いて遺骨の身代金を要求したり、清朝軍の兵士が反乱軍の人々の墓を暴いて遺体・遺骨を損壊したことなどが挙げられる。
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